高島平を知る勉強会 レポート③ 「高島秋帆(たかしましゅうはん)」

郷土資料館の学芸員さんに、高島平や近隣地域の歴史を教えて頂いています(^^)/

第3回のテーマは「高島秋帆(たかしましゅうはん)」
江戸時代後期から幕末の1798年~1866年に生きた高島流砲術の創始者です。
高島平8丁目の徳丸ヶ原公園に石碑があったり、高島平の地名の由来になったことで有名。

どんな人だったのか、詳しく教えてもらいました(^^)/

・生まれたのは江戸時代後期の長崎。
・父の跡を継ぎ、長崎会所調役頭取に(裕福な家柄)。
・出島で日本砲術と西洋砲術の格差を知って愕然となる。
 (鎖国中の日本で、唯一海外と接点があったのが長崎の出島)
・出島のオランダ人から砲術を学び、私費で銃器等を揃え高島流砲術を完成(1834年 36歳)
・幕府に砲術の近代化を訴え、徳丸ヶ原(現在の高島平)で日本初となる洋式砲術の公開演習を実施(1841年 43歳)
 (当時の日本の銃は火縄銃で風や雨に弱く連射もできない、西洋砲術は火打石のようなもので火を付けたため強かった。)
・高島平に来たのはこの砲術演習の3日か4日のみ。
・銃の他にも、出島でパンの作り方を習い、その弟子が韮崎でパンを広めた。
・演習の後、周囲の妬みなどで無実の罪で逮捕(1843年 45歳)されてしまうが、後に釈放(1853年 55歳)
・砲弾を置く台を模した酒器、コルス盃(古留寿盃)を作り、知人に贈答する。
・その後は江戸の長屋で質素に生活し1866年 66歳で亡くなる。
今から180年前、たった数日の滞在で地名になってしまうくらい、近世から近代へ、すごいインパクトのある出来事だったとのことです(^^)

今後のキーワードとして「長崎」「出島」「砲術」「パン」「酒器」「コルス盃」「砲弾」などが出ました。
コルス盃は実際に郷土資料館に取り寄せて頂き、見学をさせて頂きました!
木製でお洒落な盃で、多少アレンジをして現代で造っても面白そうだとの意見が出ました(^^♪

次回の最終回は「明治~現代、まとめ」を書いてみたいと思います(^^)/